フルクラム通信

スターウォーズ考察記事などちまちまと

公開から数年経ったシークエル

初めての記事としてふさわしいのかどうかは疑問ではあるがなんだかんだシークエル3部作は何かと話題にはあがる作品であることは間違いない。

 

シークエルについて語るためにはそれ以前のSW事情にも触れないといけない。

2012年10月に「ディズニーがルーカスフィルムを買収する」と発表され同時に三部作の映画(シークエル)を製作するとアナウンスされた。

そして翌年には当時ストーリー的にも終盤に入りつつあったCGアニメ「クローンウォーズ」(以下TCW)を「新たな作品に集中するため」という理由で事実上未完結のまま打ち切った形になる。恐らく2014年から「反乱者たち」が放送されていることから当時TCWの権利を持っていたのがワーナーだったというところがIP権利的側面では大きかったのだとこの時点で邪推せざるを得ない状況になってしまった。

なにはともあれディズニー買収以降〜EP7公開までに行われたことは雑にまとめてしまうと「プリクエル3部作要素を限りなく減らす」ということだ。「限りなく」と表記した理由は少ないながらTCW S6があったからである。

TCWを打ち切った理由が「シークエル製作に集中するため」だけならば「反乱者たち」を製作する余裕もないはず...とプリクエル世代やTCW世代はモヤモヤした気持ちでEP7のプロモーションや映画を見ることになった。

そしてEP7はいわゆる「オールド世代」には概ね高評価を貰う結果となった。

そもそも基本的なプロットや出てくるビークルや勢力がほぼオリジナル3部作と変わっていないのだから良くも悪くも「接待映画」のような印象を持つしかなかった。だがまだEP7の時はギリギリのラインでファンからもそれなりの評価があり興行収入的に見ても「成功した」という形になった。だが内容面ではあまり面白いポイントは無く良い言い方をすれば「EP4をオマージュした作品」悪い言い方をすれば「ただEP4を今の技術で焼き回しただけの作品」という位置付けだった。

少し話は逸れるがほぼ同時期に公開されほぼ同じような立ち位置だった「ジュラシックワールド」の出来が良かった挙句にMCUの盛り上がりが過熱し始め「色んな作品から要素を持ってくる」がもはや当たり前となっていた時期にぶつけてしまったという影響も若干あるのかもしれない。

 

ただEP7時点ではほぼ全てのファンが「これからこのキャラクターたちがどう成長しどういう役割を持っていくようになるのか」という感想を持ちつつ劇場を後にした。

 

そしてEP8でその期待すら壊される結果になる。出自が謎だったレイは「何者でもない」とされフィンはコメディリリーフ的ポジションになりポー・ダメロンはただただ上官の命令を聞かないパイロット、サーガの最終的な敵になると思われていたスノークは途中退場しオリジナル作品から人気だったアクバー提督ナレ死で終わらせハイパースペース特攻という今までの原則を覆した現象を起こしフォースによる宇宙遊泳やワープ技術までしてしまった。レイとレンの共闘シーンは絵面は今までにありそうでなかったため評価されたが殺陣の美しさも無くただただ力まかせにライトセーバーを振り回しているようにしか見えなかった。

終盤に描かれたカイロレンとルークの対決も真面目なライトセーバーデュエルが見れるのかと期待させておいてルークはその場におらずデュエルと呼べるような代物ではなかった。

だが「今までの積み重ねに甘えるのではなく新しい試みをしてみる」という事をしたのはシークエルにおいてはEP8だけである。その部分やそこに至る決断に関しては評価すべきだと思う。

と同時にこの辺りからローグワンや反乱者たちなどのスピンオフ作品の方が面白いのではないかという疑問を持ち始めEP9に対する期待値はかなり下がって状態になった。

そして一応のサーガの締めくくりであるEP9はもはやただの敗戦処理的な作品であった。

前作EP8で良くも悪くも繰り返された「いやそうじゃない」というポイントを全てまた覆すことしか出来ない作品に成り下がってしまった。

墓場からパルパティーンを引っ張り出してくるというEP1〜EP6の過程を無駄だったと思わせるぐらいの展開だった。

前作で「特別な出自を持たない」とされたレイはパルパティーンの血筋とされ叩きに叩かれまくったローズはもはや背景にいるだけのようなキャラクターになりヤケクソのようなスターデストロイヤーとヤケクソのような援軍、極め付けはかつてのジェダイたちの声と「私はジェダイ」でよくわからないままパルパティーンを倒しスカイウォーカー両名が嫌っていたタトゥイーンにライトセーバーを埋め新しいセーバーを持ったレイが何故か「スカイウォーカー」を名乗るという「もはや何がしたいのか」という作品になってしまった。

前作で過剰なまで行われたツイストを結局全部無かったことにしたいだけの作品でしかないのだ。

ではEP1〜EP6を記憶から「無かったこと」にして純粋に3部作として評価しようとしても成立しないようなアークになってしまった。

唯一まだギリギリ成立するのはカイロ・レンの3部作として見るなら成立しないこともない。というのはオリジナル世代からもプリクエル世代からも同じ評価ではないだろうか。

プリクエルを「光から闇へ」としオリジナルを「ただの青年が光(希望)になる」その続きとして「闇から光へ」とするならまだ一定の評価は得られただろうし「スカイウォーカーサーガ」としても成立する...と言えなくもない。

 

このEP8〜EP9で少なくない数のファンが離れてしまったのだがそれを引き戻したのが

最初に切り捨てたデイヴフィローニが作るスピンオフという皮肉めいた状況を生み出し今やSWのスピンオフが出るたびに

フィローニ組が作るのかディズニーサイド主導なのかでまず作品に対する期待値が大きく変動することになってしまった。

 

シークエルが成し遂げたことは現状では

以前までは意見が合わなかったオリジナル世代とプリクエル世代両方から「うーん...」と思わせ対立構造に近かったファンダムを同じ意見で見れる仮想敵を作っただけというのをナンバリングでしてしまったのは非常に受け入れ難い事実である。